ソラリスの時間 2016年07月

ソラリスの時間

昭和(1960-80年代)の懐かしいモノ、ヘンなモノ満載!!! 脱力系 or ココロトキめくノスタルジックワールドへご案内〜!

昭和の「NHKのど自慢」の、懐かしあるあるラインナップ♪ 

987-1273のどじまん1

↑「この方のお顔を見たの、何十年ぶり?! 」という方もいらっしゃるのでは?
1970年〜87年にかけて、日曜お昼の「NHKのど自慢」の司会をされていた、金子辰雄アナウンサーです。
金子さんが司会をされていた時期は、私が、というかわが家がのど自慢を見ていた時期とピッタリと重なります。

今日は、70〜80年代の懐かしいのど自慢の様子を、曲目とそれを歌う素人出場者の「あるある」ラインナップでカンタンに懐古してみたいと思います♪ 
「あるある」を立証する、適当な動画があればもっと良かったんですけどねえ。ショボくなるかも知れませんが、スミマセン


1番 「あんたのバラード」(世良公則&ツイスト)(歌唱者・・・20代前半〜半ばの会社員の男性)
★世良さんのアクションをオーバーに真似をしながら歌う、若い男性出場者。トップバッターはこういう勢い勝負系の若い男性の方、多いイメージがなかったですか?

2番 「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)(歌唱者・・・30〜40代の主婦)
★私が見ていた時代は、まず、毎回ひとりはこの曲を歌う人がいたような気がする。

3番 「春一番」(キャンディーズ)(歌唱者・・・20代〜30代前半の保母さん、または幼稚園の先生の3人組。ほとんど歌わないが、パフォーマンスで後ろに2、3人くっついてくる時もあり)
★私の印象では、保母さんや幼稚園の先生がこの曲を歌っていたイメージがとても強いんです。
そして、大抵、運動会やお遊戯会の時に作るようなお揃いの小道具をみんなで持って元気に登場(笑) 
客席には、「せんせい、がんばって!」などの手作りの横断幕などを持った他の職員さんや子供達がいるのもお決まり。

4番 「嫁に来ないか」(新沼謙治)(歌唱者・・・20代半ば〜30代前半の、収録会場のある地元の町内に住む男性)
★こういう結婚にまつわる歌を歌う出場者は、歌唱後に金子アナと結婚絡みのトークがひとこと、ふた言、行われる事が多かった。「今、花嫁募集中です!」とか、「もうすぐ挙式で、今客席に彼女が応援に来ています(照)」など。

5番 「岸壁の母」(二葉百合子)(歌唱者・・・60代以降のおばあちゃん)
★この頃は、戦争体験者の方がまだ非常に多く存命していた時代。当時の私の祖母よりも少し年上のおばあちゃんがこの歌を歌っているのをよく見た。
今思うと、せつないなあ・・・

6番 「マイ・ウェイ」(フランク・シナトラ)(歌唱者・・・40〜50代の、自営業or専門職風中年男性)
★こういう系統の歌を、高らかに自信タップリに歌い上げる方も、時々お見かけしましたね。

7番 「待つわ」(あみん)歌唱者・・・10代後半〜20代前半の若い女性)
★この曲も、のど自慢でかなり頻繁に聞いたイメージがあります。
女子高生から若いOLまで、様々な女子がペアでハモリを聴かせていましたよね。

8番 「兄弟舟」(鳥羽一郎)(歌唱者・・・地元の漁師さん)
★収録会場が海沿いの漁港町だった場合、大抵、この歌を歌う漁師さんが登場した。
♪波の谷間に命の花がぁ〜 ふたつ並んで咲いているぅ〜♬
これと同じような趣旨で、歌われていたのが、村木賢吉さんの「おやじの海」

9番 「涙のリクエスト」(チェッカーズ)(歌唱者・・・10代後半の男子高校生)
★男子高校生が歌ってたイメージ。卒業を控えて、部活の仲間や友達と一緒に出場するシチュエーション。当時流行ってたフミヤ・カット的な髪型だけでなく、衣装や振り付けも揃えてたりして(笑) 学ランで出てるグループもあったような。

10番 「南部牛追唄」(日本民謡) (歌唱者・・・10代〜80代の、民謡を日頃から歌っている老若男女)
★今はどうなのか知りませんが、当時は、出場者中にかならずひとりは民謡を歌う方がおられた気がします。
民謡というと年配の方のイメージがあると思いますが、出場者の年齢層は幅広くて、それこそ将来は歌手を目指してる風の実力派高校生から、金子アナにフォローされて歌い始めるお年寄りまで。
一時期、民謡ブームもありましたからね(金沢明子さんとか原田直之さんとか)。


11番 「銀座の恋の物語」(石原裕次郎/牧村旬子)(歌唱者・・・30代後半〜50代の中高年夫婦)
★銀恋だけではなくて「もしかしてPARTⅡ」「居酒屋」「浪花恋しぐれ」等等の、大人のデュエットソングを、夫婦で出場して歌っておられるシーンも多々見かけました。
歌唱後に金子さんに訊かれた時に、「今日が結婚記念日なんです」とか「今年、銀婚式を迎えます」などのコメントが。
「昭和枯れすすき」もよく聴いた気が(笑)

12番 「つぐない」(テレサ・テン)歌唱者・・・20代〜40代の女性)
★テレサ・テンさんの曲はバブル期ぐらいまでは女性のカラオケ定番曲で、当時の私達のような小娘から中年女性までが好んで愛唱していました。
のど自慢でも、歌うま系のOLさん、主婦さん、スナック勤務のお姉さん・・・などなど幅広い層の方が歌っていたように思います。

13番 「もしも明日が」(わらべ) (歌唱者・・・20代〜30代のナースさん、介護施設職員さん)
★3番の「春一番」同様、職場の同僚の女性が何人かで出場して歌う事が多かった印象の曲。
保母さん、幼稚園の先生以外にも、ナースさんや老人施設の職員さんなどもグループでよく出場されていました。
エプロン姿だったり制服だったり、仕事をする時の服装でたいてい出場されていましたよね。

14番 「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)(歌唱者・・・30代〜50代の男性)
★楽曲の雰囲気的にも、6番の「マイ・ウェイ」と少しイメージが重なる歌唱者層ですが、こちらの方がマイ・ウェイよりは若干、年齢層が若めでまだハツラツ感もあった(^^;)
歌唱力に自信のある人が歌うことが多く、合格の鐘が鳴る確率が高かった気がします。

15番 「勝手にしやがれ」(沢田研二)(歌唱者・・・20代男性)
★ジュリー風の派手なパフォーマンス付きで歌われることが多く、会場も手拍子で盛り上がりました。

16番 「柔」(美空ひばり)(歌唱者・・・40代~60代のカラオケ好き(ひばりファン)の中高年女性)
★今では美空ひばりさんといえば「川の流れのように」が代表曲のような扱いになっていますが、まだこの曲が発売されていなかった80年代半ばまで、のど自慢で歌われることが多かったのが「悲しい酒」とこの「柔」
ひばりさんの曲をチョイスする人は、アマチュアのカラオケサークルに所属していたりすることも多く、この日のために新調したきらびやかな衣裳で登場したり、客席にもサークル仲間が横断幕を持って駆けつけて応援するシーンが映し出されていました。

17番 「カナダからの手紙」(平尾昌晃&畑中葉子)(歌唱者・・・20代~30代の男女ペア)
★夫婦で歌われることが多かった11番の銀恋などのムード歌謡のデュエットに比べて、兄妹、いとこ同士、先輩後輩、結婚前のカップルなど、様々な関係のペアに歌われていませんでしたか?
さまざまな関係性ということでは、男男ペアで歌う「あずさ2号」もよくあるパターンでした。

18番 「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)(歌唱者・・・20代の結婚が決まった女性)
★2番の「嫁に来ないか」の女性パターンで、近々結婚予定の若い女性が歌っていた。
百恵ちゃんの「秋桜」を歌うパターンもありましたが、「瀬戸の花嫁」の方がご当地感が強く、のど自慢的だった気がします。

19番 「北国の春」(千昌夫)(歌唱者・・・30代後半~70代の北国出身の男性)
★のど自慢で完全に定番化していた曲。
東北や北海道での収録時はもちろん、都会に出て来ている北国出身の中高年の方々が歌っていましたっけ。
千昌夫さんばりのコートにトランクケースの扮装で登場する方も結構多かったですよね。
鐘が鳴った後で、金子アナに勧められ、テレビ越しに故郷の親族へ「やったよ〜!」等の語りかけをしていた姿も微笑ましい、のど自慢ならではのシーンでした。

20番 「君といつまでも」(加山雄三)歌唱者・・・20代〜50代男性)
★結婚を控えた男性や、新婚の男性、愛妻家アピール?(笑)の男性が歌っていた。
途中で入る『幸せだなあ。僕はキミといる時がいちばん幸せなんだ。僕は死ぬまでキミを離さないぞ。いいだろ?』
というセリフが盛り上がりの大きなヤマ場でした。
客席には、奥さんや彼女が見に来ている事も多かったですね。

21番 「おもいで酒」(小林幸子)(歌唱者・・・20代〜40代の歌うま女性)
★地元のカラオケ・スナックやカラオケ・ラウンジで歌い込んでいる歌うま風の女性の出場者は、演歌をチョイスする事が多かった時代。
八代亜紀さんの「舟唄」「雨の慕情」、森昌子さんの「越冬つばめ」「哀しみ本線日本海」あたりも頻繁に歌われていた気がします。このあたりの唄は、鐘が鳴る確率も高かったですね。

22番 「青春時代」(森田公一とトップギャラン)(歌唱者・・・20代後半〜30代の教師)
★地元の小中高校の先生も、時々お出になっていました。客席には、保母さんや幼稚園の先生達と同様、「○○先生、ガンバレ!」の横断幕を持った、生徒や職員、保護者の応援団が。
演歌よりも、こういった若々しいポップスやフォーク系の歌を歌われている事が多かったイメージです。
「青葉城恋唄」「贈る言葉」あたりも先生が歌ってたような勝手なイメージがある(笑)

23番 「俺ら東京さ行くだ」(吉幾三)(歌唱者・・・30代〜40代の地元に定住している男性)
★東京への憧れを歌っているようで、実はローカル愛に満ちた歌ということもあってか、生まれてからずっと地元に住む男性が会場を明るく盛り上げる感じで歌っておられたようなイメージ。
消防団、青年団などの地域活動に従事している方、地元のお店の店主さんや従業員の方などが歌っておられたような、これまた非常に勝手なイメージです(笑)



「のど自慢」の出場者が1回あたり20名程度ということで、昭和ののど自慢を見ていた時の「あるある」を考えながら、これぞ「昭和ののど自慢」的な出場者と歌唱曲のラインナップを挙げてみました(笑)
金子さんが司会しておられた、70〜87年のあるあるですので、その点ご了承あれ、
他にものど自慢でよく耳にした曲は、たくさんあるんですけどね〜。当時はヒット曲も多かったですから、


多分、現在にも通ずる「のど自慢」のあるあるとして、

○ その回のゲスト歌手の持ち歌を歌う人が、かならず一人は出場する(歌の後の講評を、歌手本人からもらえる)
○ その地元、地方をテーマにした曲(上記ラインナップの中でいうと、「津軽海峡冬景色」「瀬戸の花嫁」「青葉城恋唄」など)は選ばれやすい。


といったものもありますネ

あと、これも。
○ 曲名を言う前に、服装、衣装で、その人が何を歌うのかがわかる場合が結構ある(笑)
(「北国の春」、昔のピンクレディーの曲、など^^)





↑youtubeで見つけた、昭和58年にのど自慢を視聴している時の一部音声。
「おゆき」(わかりますか?将棋の内藤九段が歌っておられたヒット曲です)を歌っている出場者もいたりして懐かしい。。。


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10年ぐらい前になるでしょうか、「のど自慢」という、室井滋さん主演の「NHKのど自慢」の現場を舞台にした映画がTV放映されたのを見ました。

映画のメインストーリーはもちろん架空のものですが、実際の「のど自慢」の収録現場を取材した時の様子もストーリーに反映されていて、単に予選会で選ばれた出場者が本番で自分の歌を歌ったらそれで終わり、というのではなくて、出場者同士の連帯感や絆が生まれたり、みんなで助け合ったり励まし合ったりして番組を作ろうという一体感が実際の現場でもできあがっていくようなのです。
それを知った時には驚きましたね
その場限りの素人の出場者のはずなのに、こんなに親しくなって連帯感が生まれるのか!と感動的ですらありました。
中には、これがご縁で結婚された方まで現実にはいらっしゃったようです。

最初に載せた金子さんの昔の著書にもそういう、収録現場で実際に起きたハートウォーミングな人間ドラマが書かれているようです。
図書館にもあるようですし、昭和という時代を回顧する意味でも読んでみたいと思います。



・・・というわけで、今日は私の頭の中にある、昭和の「NHKのど自慢」あるあるをちょっと並べてみました
いつもおつきあいいただき、ありがとうございます(笑)

それでは、また☆



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[ 2016/07/29 23:45 ] ●懐かしのTV番組・TVアニメ・CM | TB(0) | CM(10)

大橋巨泉さんの訃報 

今日は他の記事をスタンバイさせていましたが、急遽差し替え。
先日の永六輔さんに続いて、大橋巨泉さんがお亡くなりになりました。





巨泉さんが司会していた番組、次々に思い浮かんで来ますよね。
まず、「クイズ・ダービー」

「クイズ・ダービー」があった土曜日は、「まんが日本昔ばなし」→「クイズ・ダービー」→「全員集合」(80年代は「ひょうきん族」を見ることが多くなった)→「Gメン」(「ちょっとマイウェイ」を見てた時期もあったり) と3時間ぶっ通しでテレビの前に座っていました。
ナイターがある時は、そっちを見ることも多かったですが。
以前ブログでも取り上げましたが、「クイズ・ダービー」の前に放送していた巨泉さん司会の「お笑い頭の体操」も幼児ではありましたが、断片的に覚えています。

この動画は最終回ということで、番組の歴代解答者がチーム側でも出演されています。懐かしい!!
私は篠沢教授や、はらたいらさんの前の黒鉄ヒロシさんも好きでしたよ。






「世界まるごとHOWマッチ」
同時代に放送されていた「なるほど・ザ・ワールド」や「ショーバイショーバイ」共々、日本とは異なる世界の価値観や文化を見られるのが面白かったです。
それと、何と言っても石坂浩二さんやたけしさんとの面白い絡み
ケント・デリカットさんやケント・ギルバートさん、チャック・ウィルソンさんなども、この番組からお馴染みになったのでは?

「クイズ・ダービー」の解答者もそうでしたが、巨泉さんの番組って、出演者に「大人の知性」を感じる方が多かったなあと今になって振り返ると思います。
今よくあるニュース解説番組のような、いかにもタメになりますよ的なスタンスの番組ではなかったけど、出演者、繰り広げられる会話などすべてにおいて何気ない大人のインテリジェンスと遊び心が感じられました。

この前の「昭和の占い師」の記事を書いた時も感じていたのですが、この時代のテレビのキーワ−ドは「大人(オトナ)」と「遊び心(自由と知性がないと生まれない)」だった気がします。



もうひとつ忘れてはならないのが「11PM」
コドモでしたので、私は上記2番組ほどは見ることはありませんでしたが、お色気系の風俗ネタ、心霊、UFO、宇宙人などのムー的なネタから、麻雀やギャンブルなどの遊興、政治的な硬派ネタまで幅広いトピックを扱っていたようです。(「いたようです」というのは、私の印象にあるのは、お色気系とムー系ぐらいなので^^;)

出演者も皆さん、アダルトな方ばかりで、これこそ「大人(オトナ)」と「遊び心」の要素満載の番組でした。
そしてそれは、同時にコドモにとっても好奇心と興味をかきたてられる世界だった(笑)
11時という時間が、コドモにとっては高いハードルでもあったのですが。

巨泉さんが司会していた頃、特に70年代の11PMの再放送を見たいですね。
「11PMは(当時タブーだった裏文化などをとりあげ、それが斬新だったゆえに人気を博したという点で)70年代の番組だった」と巨泉さん自身もおっしゃっています。



11PMに限らず、ワイドショーや2時間サスペンス、再放送のドラマでもベッドシーンやヌードシーンが放送され、お笑いやバラエティー番組では、今ではコンプライアンス的に考えられないようなハチャメチャな演出が日常的に行われていた。
PTAのやり玉に上がっていた「全員集合」や「ひょうきん族」でさえ、外部のクレームによって内容変更や放送終了に追い込まれることはなかったし、ドラマでもトーク番組内でも、出演者は当たり前のようにスパスパ煙草を吹かしていた。

不健全を容認できる社会であったことが、実は逆に健全であったんでしょうね。
そんな時代にテレビの中で輝き、またそういう時代を作ったおひとりでもあったのが巨泉さんだった。
巨泉さんのようなテレビの黄金期を築いた人たちが果敢にどんどん広げて行った間口や可能性が、どんどん萎縮して狭まって行っているのが残念でならず、だからこそよけいにこのような方の訃報を聞くと寂しい気持ちになるのかなと思います。

タキシードに蝶ネクタイ姿も、昭和の司会者の典型的な装いでしたよネ
お茶の間に、楽しい時間を提供してくださった巨泉さんに感謝



(追記)

昨夜の金スマで、昨年放送された、巨泉さんの「クイズダービー」の30年ぶりの復活司会のシーンを見ました。
巨泉さんの司会ぶりが、昔見ていた頃とほとんど変わらなかったこともそうですが、今見るとその職人技のような巧さが大人目線で見ても本当によくわかり、プロとしての気概も伝わってきて、自分でも驚きましたが鳥肌がたつぐらい感動してしまいました。 

昨夜は、NHKの「歴史秘話ヒストリア」を見て、1970年の大阪万博当時の関係者の人々の熱さとチャレンジングな精神に感銘を受けた直後に、この金スマの巨泉さん特集。(その後「ドキュメント72時間」 昭和通ならではの3連チャン(笑))
当時の私は完全に幼児・子供だったけれど、叶えられるものなら大人として70年代に戻ってみたいと、心底そう思います  11PMももっと見れますから(一応女性ではありますが笑)




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[ 2016/07/23 02:13 ] ●懐かしのTV番組・TVアニメ・CM | TB(0) | CM(16)

ワイドショーでお馴染みだった、懐かしい昭和の占い師達☆ 

久々に行った神戸でレトロ・カフェに入ると、BGMでバーティ・ヒギンズの「カサブランカ」が流れて来ました。
隣席から聞こえて来た、見た目30代のOL2人組の会話。
「昭和やな〜(笑) でもこれって、昔、日本人でも誰か歌ってなかった?」
「うん、確かに。誰やったっけ?」
「誰かな〜? 確かに誰か歌っとった。つのだひろとかやったかなあ。」
「・・・支店長ぐらいやったら知ってそう(笑)」

郷ひろみだよ〜「哀愁のカサブランカ」だよ〜 支店長じゃないけど知ってるよ〜〜(笑)
口を挟みたくてウズウズしていましたが、なんとか自重。
こういう場面って、たまにありませんか。この手のブログを読んでくださっている方にとってのちょっとした「あるあるネタ」かも知れませんネ。
今回はまあ、つのだひろの名前が出て来ただけでも良しといたしましょう(笑)

前置きが長くなりましたが、今回はこの前置きとは全く関係ありません
昭和にテレビ出演されていた占い師さんたちにスポットを当ててみたいと思います。昭和をテーマにしたブログやサイトは数あれど、このジャンルから斬り込むのは私ぐらいじゃないですか?(←単に嗜好がマニアックなだけ)

春・夏・冬休みになると、朝やお昼過ぎの主婦向けワイドショー番組を自然に見てしまうことが多かったですよね。
そんなワイドショー番組に時々出演されていたのが、以下のような先生方でした。



● 五味 康祐

987-1274昭和占い師五味

茶人帽をかぶり、あご髭をたくわえ、典型的な昔ながらの易者風の風貌でテレビに出演されていた五味先生。
ワイドショーでは、ぜい竹(易占いの方がよくお持ちの、卦を見る棒)での占いをされていたような記憶もありますが、人の顔から性格や運命を判断する「人相学」を主に披露されていたと思います。
オトナ系の鑑定(いわゆる○○が強いとか弱いとか)をおこなっていらっしゃったのも、子供心に覚えています  自由にマイペースに発言されていたけど、愛嬌があって憎めないキャラの先生だったなというのが印象。
今ならお昼に、○○に関する占いという企画自体がアウトだろうな(-∀-) まあ占っておられたのはそれだけじゃなかったんですけどね。

後に五味先生が、本業が時代小説で有名な作家先生だったことを知るのですが、小学生だった自分にはそんなプロフィールが視野に入ることもなく、ただただ、ユニークで破天荒そうな占いの先生だと思っていました。
このブログを書くにあたって、wikiを参照したところ、1980年の4月に58歳でお亡くなりになったとの記述が。
亡くなられていたのは知っていましたが、「バブルぐらいまでは五味先生をテレビで見ていた記憶があったのに、こんなに前に亡くなっておられたんだ!」「テレビに出られてた時って、まだ50代だったんだ!」と二重の意味で驚きでした。



●マリー・オリギン

987-1274昭和占い師マリーオリギン

今回、「昭和の占い師」を懐古したいと思った時、いちばん最初に浮かんだのがマリー・オリギンさんの名前とお顔でした。名前でピンと来なくても、このお顔に見覚えがある方もいらっしゃるかもですね。
マリー・オリギン先生がどんな種類の占いをされていたか、はっきりとは覚えていないのですが、水晶玉をテーブルに置いて見られていたようなイメージがぼんやりとあります。(もしかしたら他の方と混同しているかも
占い方法に関してはそんな非常に曖昧な記憶しかないにも関わらず、なぜこの先生がこんなに印象に残っているかというと、その浮世離れした神秘的な風貌と存在感でした。
日本人離れした顔立ち、長いストレートの黒髪、カジュアルな装いで出演されることは皆無でいつもドレスを着ておられて、しかも時折ベールをかぶっておられたりもしました。
それに加えて、五味さんのように笑いを誘うユーモア的な要素は全くなく、もの静かに非常に言葉少なにお話をされていました。微笑んでいるお顔すら、少なくとも私はテレビで見たことはなかった。

そんな常人とは明らかに異なる謎めいたオーラを放っていた先生でしたが、今でもご健在、ご活躍のようで、ネットの某占いサイトにもお名前がありました。
先生が俗化してしまった気がして、ひとりで勝手に残念な気持ちになったのですが、神秘のベールに包まれた存在なんて、占い師と言えどももはや今の時代は難しいのかもしれないですね。 歳をとられてもお綺麗でいらっしゃるのは素敵です。



●浅野 八郎

987-1274昭和占い師浅野

浅野八郎先生に関しては、高校生か大学生の頃に買った本を私はいまだに持っています。
「人間テスト」というワニブックスのシリーズの本(だったと思う)。心理テストの本ですけどね。
本棚の奥の方にあって出すのが大変なので、本の画像は省略しますが。

ワイドショーで姓名判断をされていた記憶があります。
五味さんやマリー・オリギンさんが「いかにも占い師」的な格好をして出演されていたのに比べ、浅野先生は、普通に背広姿で出演されていて、大学の先生とか研究者、専門家の先生といった印象。
今では占術協会の会長さんをなさっているようです。
マリー・オリギンさん同様、占いサイトにお名前がありました。
インターネットは占い師さんにとって、やはり必須のビジネス・ツールになってるんですね。


●野末 陳平

野末先生も、姓名判断をされていた記憶があります。
浅野先生と同じく、背広姿でいつもお出になっていましたが、野末さんの場合は占いというのはあくまでも副業的な仕事で、本業はある時には政治家だったり、ある時にはタレントだったり評論家だったりしたので当然かも知れません。
浅野先生が専門家的なスタンスの解説だったのに対し、その他のジャンルでもよく出演されていたせいかテレビ慣れしておられて、賑やかに喋っておられました。(そういえば「霊感ヤマカン第六感」の司会もされていましたよね。)

今でもご健在ですが、野末さんのようなポジショニングは昭和だからこそ可能であった気がします。インテリで多才であったことは確かでしょうが、軽々、飄々と時代を渡り歩いておられた気がして羨ましい気もします。



●能見 俊賢

血液型占いと言えばこの方。私も10代の頃に、お父様である能見正比古さんとの共著など何冊か本を読みましたっけ。ワイドショー等でも血液型占いの企画があれば、必ずこの方が呼ばれて解説しておられました。
血液型は能見さん曰く統計学であるので、これを「占い」とするのは少し違うのかも知れませんが、科学的・統計的根拠が本当にあるのか?という懐疑的な見方が以前から多くあったにも関わらず、「血液型ナニ型?」「あ〜やっぱりね!」等という会話がいまだに普通に成立する、この影響力はすごいと思います。
いつだったか忘れましたが、一時期、トラブっておられませんでしたっけ?




この他にも、西洋占星術のルネ・ヴァンダール・ワタナベ先生もたまにテレビでお見かけしていましたが、ルネ先生に関してはテレビよりも本や雑誌での占いコーナーの方が個人的にはお馴染みだったので割愛させていただきました。(それでいうと、血液型の能見俊賢さんもそうなんですが。)



現在でも占い師やスピリチュアル系の方をテレビで見る機会は少なくありませんが、その先駆け的な存在だったのがこの方々であったと思います。

昭和と今の社会状況の違い、それによる占いとの距離感の違い、、、など比較分析して語れる要素はありそうですが、今日は素直に懐古したかっただけなので、深い追究はやめにします

ただ、社会に出ていない子供だったせいもあってか、昔の方が「占い師ってどんな人がなるんだろ?」的な、今よりもずっと謎めいた職業に見えていたのは事実。
ティーンの少女向けの「マイ・バースデイ」なんて占い雑誌もあったりしたけど(友達の持ってるのを一緒に読んでた〜(懐))、テレビでやってた占いは特に、今よりも何と言うか「オトナの娯楽」的な匂いがあったなあ。
真偽以前に、そういう諸々が楽しかったな〜と懐かしく想い出します。

マニアック・ネタですみませんでした(笑)



987-1274昭和占い師本  _047-2010昭和コネタ星占い
↑この2冊が、私が小学生の頃に読んだ占いの本。特に右の星占いの本は当時繰り返し愛読していて、何年か前のブログにも載せました。
どちらも数年前に、古本屋で偶然見つけて買い戻しました(^-^)/


 


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プロフィール

MANASAVVY(マナサビイ)

Author:MANASAVVY(マナサビイ)
昭和40年代、岡山県生まれ。大阪在住。
昭和カルチャー以外にも、旅、写真、グルメ、 読書、映画、TV、野球観戦、超科学や超古代文明(ムー的なトピック)が好き。 ブログの内容からか男性と間違われる事が多々ありますが、女性です。
「佳後 マリ子」の名で、レトロ旅ライターとして取材・執筆活動を行っています。

写真と記事の無断転載を禁止します。
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